美術館に行く前にこういう本を読んでおけばよかった。
現代アートがさっぱりわからない。
印象派以前の作品(特に絵画)は、
「あーこれ好きだな〜」とか、
「これはあんまり好きじゃないな〜」とか、
観たあとに何かしら思うものがあるんだけど、
現代アートに限っては、好き嫌いという次元ですらなく、
全く理解できない、という次元だ。
こうなると、せっかく美術館に来たというのに、さーーーーっと流し見て、終わり。
といった感じになる。
こりゃあかんと思いつつ、勉強するもの面倒で、先延ばしにしていた。
ここに来て、ようやっといくつか読んでみた。
1冊目
女子のための現代アート入門ーMOTコレクションを中心に(長谷川祐子)
これは良かった!
私にはやや難しい部分もあったけれど、そこをじっくり考えながら読むと、なるほどそうか〜と思えた。
(じっくり考えてもわからない部分もあったけど、、笑)
さっぱりわからなかった李禹煥の作品など、これを読んで、そっかそういうことだったのか、と、少し理解できたような気がする。
読了後、どんぴしゃりで掲載されていた李禹煥の作品を観る機会に恵まれて、ちょっとした感動だった。
2冊目
みんなの現代アートー大衆に媚を売る方法、あるいはアートがアートであるために
これは現役のアーティストが書いた本。
作者が考える現代アートとは?というのを箇条書きにしてくれていて、ここが一番参考になった。
何でもありに見える現代アートだけど、ちゃんとした“アートの流れ”があって、それに乗っかっていないものはアートとは言えないんじゃないの?、と。
“アートの流れ”っていうのは、“アートの歴史”といってもいいかもしれない。
アートの歴史って言うと、私の中では、ゴシック、ルネサンス、マニエリスム、バロック、みたいなものだった。
そして、それぞれの違いは、技法の違いによるところが大きいと思っていた。
ゴシックが平面的な絵なら、ルネサンスは奥行きのある絵、マニエリスムは変形、バロックは光の表現、といった感じ。
どれもこれも技法の進化という印象だった。
しかし、現代アートにおいては、技法の違いというよりは、その当時の固定観念を覆すもの(仮にAとする)があって、さらにそのAを覆すもの(Bとする)が発生して、そして更にそれを覆すもの(Cとする)が発生して、、以下繰り返し、という印象。
このA → B → Cという流れが、現代アートの流れなのかな、と。
もちろん、全く別の、A → D → Eみたいな流れも同時発生するかもしれないのだけど、それはそれでアートの流れなので、DやEも立派なアートなんである。
作者のアートの定義で、唯一腑に落ちなかったのは「アーティストによって作られたか」というところかな。
個人的には、アーティストによって作られていなくても、アートとなりうるんではないかなぁと思う。
というか、そもそもアーティストって、何をもってアーティストなのか?、というのが新たな疑問だなぁ。
3冊目
これがもうめちゃくちゃ良い本であった。
なんというか、普通の感覚で書いてくれているというか、一般人の感覚で書いてくれているというか。
1冊目と2冊目はちょっと遠い世界の人が書いているという印象があったのだけど、これはそういう距離感がなくて、読みやすかった。
自己啓発本みたいなタイトルなのだけど、アート入門書としても読めました。
「アーティストが何かしらの『問い』を、今までにない形で表現する。
これがアートなんである、とこの本では書いてある。
このアートの定義がものすごく自分にはしっくり来た。
2冊目に読んだ「みんなの現代アート」には、納得できる部分とできない部分があったのだけど、この本のなかで書かれている「現代社会に問いを投げかけているか」という基準で判断するならば、割とすっきりするというか。
問題はアート作品を観たときに、自分がその『問い』を感じ取ることができるのか、というところだな。
基本的に、懇切丁寧に説明してくれないとわからない人間には、ちと厳しい。
しかし、それを考えるという作業が、美術鑑賞の醍醐味ですね。
東京都現代美術館で開催されていた「ライゾマティクス展」にも行ったのだけど、この本を読んだあとに行きたかったなぁ。そのほうがもっと楽しめたような気がする。
まとめ
最近読んだのはこの3冊。
この3冊の中では、「〈問い〉から始めるアート思考」が一番しっくりきた。
解説がわかりやすかったというのもあるし、なにより現代アートが何をしたいのか、という自分の疑問に対して『問い』という言葉を持ってきてくれたことに、すごく納得がいった。
まぁ、実際アート作品を観たら、「問い」があるのかないのか全然わからない、ということもあると思うのだけど、観るときの一つの基準にはなるな、と。