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資本主義のその後って、どんな世界?

最近、いろんな本を読みながら、「資本主義の限界」ということを考えるようになった。

 

環境問題の本を読むようになってから、資本主義には限界があるのかも知れないと思い始めたのが、きっかけ。

環境問題の本以外にも、まちづくりの本だったり、アートの本だったり、エッセイだったり。

そういういろいろなジャンルの本に、今の日本社会の息苦しさがにじみ出ていて、その息苦しさの原因の一つが資本主義という制度にあるのかも知れないと思い始めた。

 

そして、こんなことを考えているのは、私だけじゃなくて、やっぱり頭のいい人たちがとっくの昔に考え始めていたことなんだったということを、この本で知りました。

 

 

 

この本のなかで、資本主義について、世界の哲学者がどのように考えているのかということをわかりやすく解説してくれているページがあって、とても示唆に富むものだった。

 

資本主義はやがてシェアリングエコノミーに取って代わられるのではないか、

イノベーションを起こすということが資本主義社会における企業の命題になっているが、そのイノベーションがやがては資本主義を破壊していくのではないか、

などなど、資本主義限界説を主張している哲学者がいるということをこの本を読んで初めて知りました。

 

本当にそうなるかはわからないけれど、一つ言えるのは、自分の実感からしても、これ以上資本主義を推し進めるのは限界があるのでは?ということ。

 

たとえば、買い物に行ったとき。

(資本主義のおかげで)お店にはいろんな商品が売られていて、見ていると「いいな〜、かわいいな〜、おいしそうだな〜、便利そうだな〜、ほしいな〜」と思う。

そして、それを買おうかどうするか、考える。

お財布にはお金が入っていて、買えないわけではない。

(もちろん、なかには私には買えないような高価なものもあるけれど)

ここで逡巡が始まる。

かわいいけれど、これ買ってどうするの??

(家にはもういっぱい物がある)

美味しそうだけど、食べ切れる??

(こんなに食べたら、太りそう・・・)

便利そうだけど、これ、一日に何回使うかな??

(すでに家にはいっぱい道具があふれてる)

 

などなど考え初めて、結局(買えるお金はあるけど)買えない、欲しいけど買わない、ということになる。

こういうことが日常生活のなかで、溢れすぎている気がする。

欲しいと思っているし、買えるお金もあるけど、別の事情で『買えない』。

だから、結局『我慢する』。

 

そもそも物が無かった時代や、経済が豊かじゃなくてお金がないために買えなかった時代と、現在とが、結局『我慢』しているという点では、一緒になってしまっているのではないか???

 

せっかく豊かになって、経済的にも安定してきたのに、結局『我慢』している。

 

これって、本当に豊かになった、っていえるのかな??

 

資本主義のメッカであるアメリカでも、若者たちが資本主義の限界を感じてきているらしい。

格差の拡大や環境破壊が、資本主義と無関係ではないことを悟っているからなんだと思う。

かといって、資本主義が絶対にだめなものって言うわけでもないのが難しいところ。

資本主義のおかげで、いろんな技術や素晴らしい商品が生まれたことは確かなので、完全に否定できるものではないと思う。

むしろ資本主義の恩恵を受けている私たちは感謝してもしきれない。

じゃあその資本主義のいいところ享受しつつ、だめなところをフォローする新しい制度を考えないといけないのが、現代という時代なのかなぁと思ったのでした。

それが、どんな制度・どんな世界になるのかは、わからないのだけど・・・。

でも資本主義を乗り越えて、もっと良い制度が生まれたらいいなぁ、と思った。

 

いま世界の哲学者が考えていること