最近読んだ本まとめ。資本主義の闇とか。建築とか。その1
衝撃の一言だった。
今まで、何も考えずに「お肉好き〜!」って思ってたし、公言してた。
お肉って、元をたどれば当然、牛だったり豚だったり鶏だったり、生き物なんである!
当たり前じゃ。
スーパーで、パックに入った食べ物としてのお肉ばかり見ていると、いつしかこれが生き物だったんだ、という感覚が無くなってしまう。
前に『シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成 (NewsPicksパブリッシング)』という本を読んだときに、一箇所だけものすごく引っかかった部分があったのを思い出した。
日本の時代遅れの教育をやめるべきというくだりで、
「前にならえ、とか、ご飯を残すなとか、そういう意味のないことはやめてはどうか?」という著者の意見。
(うろ覚えなのであしからず)
ご飯は・・・残してはいかんのではないか・・・?
(といいつつ、私も残すことはあるのだが。)
シン・ニホンの著者としては、「ご飯を残さず食べるまで教室から出ちゃだめ」的なのは意味がないということだったんだと思うんだけど、やっぱり基本はご飯を残すのはあかんのだと思う。
現代の日本人から「食べ物のありがたみ」というものが失われているんだろうな。
お肉やお魚を食べ残すということは、より多くの生き物を犠牲にしている、殺しているということなんだ。(当たり前だ)
そして、ここが大問題なんだが、食用として育てられる牛や豚、鶏の多くは、生まれてから相当重度のストレス下に置かれ、屠殺されるときも、最悪の場合、意識がある状態で、皮を剥ぐ作業が始まってしまったりする。
牛、豚、鶏にも当然痛みはあるわけで、意識がある状態で・・・と考えただけで想像を絶している。
そして、問題はお肉だけではない。
牛乳や、卵産業も、想像を絶していた。
そもそも、なんで牛は年中、母乳を出せるんだろうな〜という疑問。
バカな私は、牛はそういうものなのだと思っていた。
アホすぎる!
そんなわけはないんである!
人間(女性)が子供を産まないと母乳がでないのと同じように、牛も子供を産まないと母乳は出ないんである。
ということはどういうことかというと、乳牛たちは毎回毎回、強制的に妊娠させられて、子供を産まされているということなんだ。
毎回子供を産まされる上に、子牛はどうなるかというと、雄なら食用、雌なら乳牛になるらしい。
生まれた子牛も最悪な運命が待っている。
動物サイドの話だけではなく、人間サイドからみても、肉食ってそんなに良くはないのかもしれない。
肉食をやめる、といったときに、人間がまっさきに心配するのが、健康的にどうなんだろう?という点。
この点についても、著者は疑問を投げかけていた。
菜食主義のほうが健康的だというデータも数多くあるらしい。
ここらへんは、もうちょっと他の本などで調べてみないとわからないけど。
また屠殺場で働く人たちも、畜産業の犠牲者なんではないかと。
動物を殺すのが楽しいという特殊な人を除けば、普通の人にとってはものすごくストレス値の高い仕事。
これを毎日毎日やっていたら、たしかに精神的にまいってくる人がいてもおかしくはない。
環境負荷という点でも、畜産業はどうなんだろうか。
環境問題の本を読んだときにも書いてあったけど、牛が出すメタンガスや、育てるときのエネルギー負荷を考えると、環境的にも畜産業は負荷が高い。
この本を読みながら、畜産業の闇も、結局は資本主義の賜物なんじゃなかろうかと思った。
お肉を、もっと安く、もっと美味しく、もっと手頃に食べたい!っていう人間の欲望の行く末が、今の現状なんではなかろうか、と。
人間の欲望の犠牲になっているのが、畜産業の場合は動物だったということなのかもしれない。
ココ最近、資本主義というものに対する不信感が募りすぎている。
資本主義の恩恵を余りあるほど受けているにもかかわらず、今はもう資本主義が行き過ぎている気がしてならない。
これからは資本主義の暴走を止めるシステムが必要なのかもしれない。
この本を読んでから、お昼ごはんだけは野菜オンリーにするようになった。
いきなり完全な菜食主義者(ヴィーガン)になるのは難しいけれど、この本の著者もおっしゃっていたように肉食を減らすだけでも、少なからず動物を救っていることになると思うので。
個人的には、培養肉の開発がもっともっと進むといいな、と思った。
味がそこそこで、値段がそこまで高くなければ、広まる可能性はあると思う。
もう一冊、読んだ本を載せようと思っていたのだけど、長くなりすぎたので、別記事にします。
関連記事↓↓
記事には畜産業については書いていないけど、本には畜産業が環境に与える影響についても言及されていた。
資本主義の限界について、以前考えた記事。