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お買い物が上手い人と下手な人(私)について

最近、お買い物好きな人たちのブログにハマっていて、あれこれ検索しては読み漁っている。

その中でも、買ったものを本当に気に入って使っている方の、買ったもの愛を語っているブログが面白い。

(単純にその方の文章が面白いということもあるけど。)

 

どこがどう好きなのか語れるくらい好きって、すごいことだ。

 

例えば、いま着ている服について、どこが好きなの?どうして買ったの?って聞かれても、答えられないんだなぁ。私は。

買ったときはすごく吟味して、これなら!と思って買っているのに、なんだか家に届いた瞬間にどうでも良くなってる。

そうして、家にはそんなに好きでもないものが溢れていて、どれも愛着がないから、使い方も雑になってくる。

じゃあ捨てられるかっていったら、お金を払った手前、もったいなくて捨てることもできない。

 

一時期、食器にハマって買い漁っていた時期があったのだけど、今はもうすっかり飽きてしまって、なんでこんなに買ったんだろう、私・・・ってな感じだ。

(でも使えるから、そのまま使ってる。)

 

こうなると、最早お気に入りでもなんでもなくて、収納に場所をとる邪魔なものという扱いになってしまって、食器も可愛そう。

せっかくお金を出して買ったのに、邪魔なものになってたら自分を幸せにするどころか、買えば買うほど不幸になっていく。

 

買い物が下手であることを自覚してからは、消耗品以外はほとんど買い物をしなくなってしまった。

(節約も兼ねてるけど。)

 

ここ数ヶ月、食品くらいしか買っていない。

案外洋服も、靴も、コスメも、2〜3年くらいは買わないでなんとかなっちゃいそうだ。

 

稲垣えみ子さんの本の影響もある。

 

この本、賛否両論分かれそうではあるけど、この本を読んでから、ますます買い物をしなくなったんだった。

本も図書館で借りるようになったし、洋服も、(もともとそんなに買わない人だったけど)、ひとまず今あるものを消費してから買おうと思ったら、もう全然買う必要がなくなってしまった。

 

お買い物上手な人たちって、どうしてるんだろう???

買ったあと、やっぱりなんか違ったとか、あきちゃったとか、無いんだろうか?

買うときに何を考えて買えば、後悔しないんだろうか。

必要・不必要だけで買い物をするのも一つの手ではあるけど、これではなんだか虚しい。

 

買い物を全然しなくなってから、もともと好きじゃなかった仕事がますます好きじゃなくなってきてしまったのも、買い物下手であることの弊害だ。

毎日こんな嫌な思いして仕事してるのに、仕事で稼いだお金は本当に必要な生活費に消えるだけで(というか、生活費だけで最近はいっぱいいっぱいなんだけど・・・)、自分を幸せにするために使うことができていない。

苦痛な仕事が終わっても、その後に楽しみらしい楽しみがないのだ。

だから毎日の生活に本当に嫌気が差してしまっている。

 

お買い物をするというのは、つまりは稼いだお金をモノに替えるということだ。

ここがうまくできないと、なんのために仕事をしているんだか、わからなくなってきてしまうんだ。

 

お金の使い道を考えるって、単純なようで、自分を幸せにするための重要な課題かもしれない。