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『映画を早送りで見る人たち〜ファスト映画・ネタバレ コンテンツ消費の現在形〜』(著者:稲田豊史)

 

気になるタイトルで、手に取った本。

最近、映画を早送り・秒送りで見る人が増えているらしい。

 

youtubeなどでも要約動画がたくさんあるけど、それで満足してしまって、本は読まないっていうのは結構ある気がする。

 

本書はこういう要約やあらすじだけで満足してしまう人や、映画を倍速で見る人の心理について、考察している本だった。

良い悪いと一概には言えないけど、結局、“余裕がない”ってことなんだろう。

とにかく時間がない。

学生は、勉強とアルバイトで忙しいし、社会人も仕事と家事と子育てでいっぱいいっぱい。

でも、流行りのコンテンツを観ていないと会話についていけない。

だから“効率よく”消費する。

 

“映画を鑑賞する” から、“コンテンツを消費する”っていう時代になってきているらしい。

 

これを悲しいと思う人もいるだろうし、単なる時代の流れだ、というとらえ方もあると思う。

稲田氏も良い悪いとは言っていない。

ただ単に、こういう鑑賞方法を取る人が大多数いて、その背景にはきっとこういうことがあるんだろう、と考察している。

 

本書のなかで、一番印象に残ったのは、

「わかりやすいもの」が喜ばれる、というところ。

 

以前読んだ、『現代思想入門 (講談社現代新書)』にも似たようなことが書かれていた。

昔は難解な本でも、普通に出版されたし、受け入れられていたらしい。

読者にある一定のリテラシーを求めることは、昔なら全然悪いことではなかった。

だけど、今はそういう本は売れないし、場合によっては“わかりにくい”と言われて、批判される時代。

 

ベストセラーになっている『現代思想入門』も、ツイッターの感想を見ていると、わかりやすくて良かったっていう感想がたくさんあった。

わかりやすいってことが、良い本・売れる本の必要条件になっているのかもしれない。

 

『映画を早送りで見る人たち』では、シン・エヴァンゲリオンについても、書かれていた。

地上波のアニメ版では、鑑賞者に一定の思考を求める表現(=わかりにくい表現)がたくさんあった(らしい)のだけど、映画版では、最後にキャラクターの独白があったり、とにかく説明が多くなっていた、とか。

そういわれると、たしかにそうだったな。シンジのお父さんの独白とかね。

 

より短く、具体的に、わかりやすく。(だけど、行間を読むスキルはないから、説明はしっかり。)

論文なのか!?って感じだけれど、この3つを映画、小説などの芸術作品・エンタメ作品にも求めるようになってきている人が多くなったんだろうなぁ。

 

もしくは、リテラシーのない人が、SNSで自分の感想(意見)を言いやすくなったために、制作サイドはそういう人の意見を反映せざるを得なくなったという可能性もある。

 

前に、『現代アートとは何か』という本を読んだときにも、アートや、美術館が、一般大衆に迎合することの是非について書かれていたけど、この問題を一回ちゃんと考えるべきなのかもしれない。

売れないことには、製作者の生活が立ち行かないので、ある一定数は売れる必要がある。

だけど、あまりにも消費者に迎合しすぎると、作品の質が落ちてしまう気がしていて、個人的には製作者が消費者に迎合するのではなく、消費者(=我々)が自分たちの鑑賞レベル(リテラシー)を上げて、日本の文化芸能を発展させる方向に動いてほしいな〜と切に思った。

 

まぁ、そうはいっても、これが難しいんだよなあー。

アートについて、本当に理解したいって思ってるんだけど、アートを理解するには宗教から歴史まで、幅広い知識が必要で、それを勉強するのは結構大変。

映画や小説、漫画などを、単なるストレス解消の道具とするのであれば、こんな努力をしてまで理解したいとは思わないってのが、本心。

 

そして、ストレス解消で見てるってものあるけど、会話のネタってこともあるから、一つ一つ掘り下げてなんかいらんない、っていう事情もある。

 

良い悪いとはいえないけど、私は一つ一つの作品を味わって鑑賞する余裕を持ちたい、と思った次第。

ある程度、情報をシャットアウトすることも、必要かもなぁ。

あとたぶん、会話についていけなくてもいいんじゃないか?

会話についていけなくなったことで、疎遠になってしまう友だちは、最早友だちではない。

 

いろんな情報が手に入るし、いろんな人と繋がれるようになったけれど、優先事項を考えながら生きていきたいな、と思った。