思ったこと、考えたこと。

日々のことや、読書のことなど。

女性としての矜持を持ちたい、と思わされた。『往復書簡 限界から始まる』(著者:上野千鶴子・鈴木涼美)

 

読み終えたあと、しばし放心状態だった。

 

日本のフェミニズムを牽引している社会学者の上野千鶴子氏と、元AV女優で現在はライターをしている鈴木涼美氏の往復書簡集。

 

上野氏が書かれていたように、往復書簡というローテクな形で対談をしたことによって、良くも悪くも、お二人の胸の内を深く深く掘り下げることなったんだろうな。

 

これでもかこれでもか、と、繰り出されるお二人の過去や現在の心境が、本当に読んでいて苦しいというか、何か展望はないんでしょーか!?!?!と聞きたくなるくらい、なんだか苦しいものが残る、読後感だった。

 

上野氏に指摘される形で、鈴木氏が自分の母親との関係性について、掘り下げていたところがものすごく印象的だった。

元AV女優の鈴木氏は、なぜやる必要もないのに、AVに出ようと思ったのかというところで、自分の母親が最も嫌いとする仕事に、あえて自分の身を置くことで、母親の愛情を確かめていたのかもしれない、と自分の胸の内を明かされていた。

 

ここは私にもものすごく思いあたる節があって、私自身、母親が専業主婦だったことや、母親が何かにつけ子どもを持たない女性を哀れんでいる態度が嫌で、私は専業主婦にもならなかったし、子どもを持つことに何の意味も見いだせなかった気がする。

 

また鈴木氏は、なぜ売春はいけないのか、という疑問に対する明確な答えがほしかったとも書かれていた。

なぜいけないのか?と聞かれると、確かに明確な答えがわからない。

その後の人生に、大きく影響するから、というのはここでは回答になっていないと思う。

 

かたや上野氏も、若かりし頃はいろんな男性と関係を持っていたらしい。

女性にも性欲はあって、女性もセックスを楽しみたいのだ、という主張はたしかに納得できる。

 

それを上野氏は自身でもって実践していたようだけど、女が男性から何らかの金銭的対価をもらわずに、性(セックス)だけ楽しみたいと思ったときに何が起こるかというと、男にいいように利用される可能性の増大かもしれない。

社会がまだそこまで追いついていないのか?

 

対価が無ければ、女性はセックスで気持ち良いフリをする必要はなくなる。

セックスにおいて、完全に平等になれるのかもしれないけど、妊娠の可能性が捨てきれない以上、リスクと隣合わせだよなぁと。

妊娠したときに、男性がどういう態度をとるのかわからない以上、女性が単純にセックスを楽しむということのハードルは高いなぁと。

男性に対する相当の信頼がなければ、セックスを楽しむのは無理な気がする。

もしくは妊娠してしまったとき、男性サイドの支援が望めない女性に対する社会的なフォローがある、など、なんらかの制度がないとセックスを純粋に楽しむのは難しいと思う。

少なくとも私はそうだ。

 

ここらへんはこの前読んだ、『あなたのセックスが楽しくないのは資本主義のせいかもしれない』とも、内容がかぶるな。

↓↓ブログにも書いた。

aaaooooo.hatenablog.com

 

日本ではまだまだ圧倒的に男性のほうが経済的に有利だし、売春(や、それに近い行為)が日本では富の再配分として機能してしまっているところも、本当に悲しい。

 

前に『東京貧困女子。―彼女たちはなぜ躓いたのか』という本を読んだときに、売春が贅沢をするためではなく、生活費を稼ぐ手段になってしまっていて、悲しくなったんだった。

 

書きたいことがたくさんあるけど、考えがまとまらない。

しかし、この本を読めてよかった。

公開を前提としていたとはいえ、個人的な内容にも踏み込んでいた書簡集だった。

またふとした拍子に、読みたくなる気がしている。