悪ガキと表現されるアーティスト「Chim↑Pom展」に行ってきました。@森美術館
現代アートがわからないという理由で、最近は現代アートの入門書を読み始めています。
その中で紹介されていたChim↑Pom(チムポム、チンポム)というアーティストの展覧会に行ってきました。
ちょうどいま、六本木にある森美術館で展覧会を開催しています。
5月29日までなので、興味のある方はお早めに!
Chim↑Pomは6人からなるアーティストグループで、全員日本人のアーティスト集団です。
この前読んだ、以下の2冊に『注目のアーティスト』として書かれていたので、気になっていました。
実際、作品を見てきた感想としては、おちゃめな響きの名前からは想像できないくらい、強烈な作品ばかりだった。
※展覧会は一部を除いて、ほとんど写真OKでした。
例えばこちらの「ビルバーガー」という作品。
実際に取り壊されたビルの廃材を、ハンバーガーに見立てて作品にしたものです。
これを見て何を思うかは人それぞれだと思いますが、作品説明を読むと、スクラップ&ビルドという老朽化した建物を取り壊しては新しい建物を作るという日本の建築(まちづくり)を大量生産・大量消費の象徴であるハンバーガーに見立てたもの、というようなことが書いてありました。
(うろ覚えなので、間違っていたらすみません)
スクラップ&ビルドが、いいとか、悪いとか、そういうことは書いてません。
Chim↑Pomは、決してスクラップ&ビルドを批判しているわけではなさそうです。
ただ、疑問には思っているのかもしれない。
日本の建物って、鉄筋コンクリート造のような頑丈な建物でも50年くらいで取り壊されてしまったりする。
木造なんかだと30年もしないで取り壊されてしまったり。
これを長いとみるか、短いとみるかは、人によって分かれそうですが、少なくとも欧米などに比べると遥かに短いのが日本の建物の寿命なんです。
もちろんこれには環境に対する意識が低いという理由ばかりではなくて、地震が多く、湿度が高い日本では建物が傷みやすいという理由もあるので、一概に良くない!とも言えません。
ついこの前も建築界隈では有名な建物の取り壊しが決定して、ニュースになっていました。
建築史上重要な建物ですら、取り壊されてしまうのが日本の現状だと思うと、ちょっと悲しい。1972年に完成しているので、ちょうど築50年で解体。
じゃあ、かと言って新築以上の費用をかけて改修や修繕をするかっていうと、これも難しい問題。
特に建物所有者や土地所有者にとっては、本当に悩ましい問題ですよね。
(有名建築だとしても)古い建物をそのまま使い続けても、収益は上がらない。
だったら、もう建て替えて、高収益物件にしよう!
こう考えても、全然不思議じゃないよなぁと。
これまで、老朽建築物を取り壊して、新しい建物に建て替えるスクラップ&ビルドは、どちらかというと良いこととして考えられてきたように思いますが、本当にそうかな???と。
ある意味では良いけど、ある意味では何かが犠牲になっているかも。
スクラップ&ビルドという単語は、調べてみると高度経済成長期に生まれた言葉らしい。
この前読んだ、グリーンジャイアントという本に書かれていた「環境問題の解決と資本主義は両立しない」ということが、このビルバーガーをみて、ふと頭をよぎりました。
日本の建築も、大量生産・大量消費の象徴であるハンバーガーとおんなじだよ〜って言われているようで、なんだかなぁと。
ココ最近、なんだかなぁと思うことが多すぎて、ブログにも「なんだかなぁ」がたくさん出てきてしまっていますが、本当に「なんだかなぁ」
こんな感じで一個一個の作品の前で考え込んでしまって、結局全部見るのに3時間くらいかかりました。
好き嫌いは別として、観る意義はある作品ばかりだと思ったので、一度は見てほしいアーティストだと思います。
直截な表現の作品が多いので、賛否両論なのもうなずける(笑)
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あらためて現代アートに触れる意義を感じさせてもらいました。
先日、こちらの本を読みました。
美術に関する小説をたくさん書かれている原田マハさんと、現役のキュレーターである高橋瑞木さんの共著です。
美術に詳しくない人が、どうしたら(難解な)現代アートを楽しめるのか、というのを二人で考えてくださっている本です。
ありがたすぎます!
この本を読んで初めて、なぜピカソが偉大なのか、っていうのをちょっと理解できたような気がしました。
私、正直に言うと、ピカソはあまり好きじゃない、、(汗)
なにがいいんだろうー?? はて??
ってな感じ。
根っからの美術好きな二人も、ピカソの「アヴィニョンの娘たち」という絵について、
“初めて見た人が、あの絵を美しいと思えることってほどんどないと思う”
っておっしゃっていたくらいなので、私のようなド素人がピカソを理解するには、ちょっと知識が必要なようだ。
ピカソを理解するためには、まず美術史上、ピカソがどういう立ち位置なのかっていうことを理解する必要がある。
これが私はさっぱりわかってなかった。
こういう美術史上の重要性が理解できると、たとえ好きじゃなくても鑑賞が楽しくなると思うので、少し理解できたのは収穫だった。
とはいっても詳しく書かれているわけではないので、ほんとうに取っ掛かりを掴めた、という感じ。
二人の対話を読みながら、原田マハさんが美術にハマったきっかけみたいなところも面白かった。
私もそうなんですが、アートに詳しい人ってなんか格好良いなーっていう思いがある。
だから、私もアートに詳しくなりたいっていうところがあるんだけど、原田マハさんもとっかかりはそういうところだったみたいなんです。
なんか、こういう心の内を話すのって、結構恥ずかしいと思うんですが、そこらへんあけっぴろげに話されていて、面白かった(笑)
そこから美術の専門家になっていったっていうのは、本当にすごい。
これからの時代、こういうふうになにかにどっぷりハマれる人が強いよな〜と思いましたね、ほんとに。
自分が、何をやっても中途半端な質なので、あこがれもありますが。
あと、今知っておくべきアーティストということで、chim↑Pomが上がっていて、これはもう観るしかないと思いました。
chim↑Pomは、先日読んだ『〈問い〉から始めるアート思考』にも注目のアーティストということでリストアップされていたアーティスト集団。
(余談ですが、〈問い〉から始めるアート思考は、めちゃくちゃ良書だったので、ぜひ読んでほしい)
さすがにつづけて読んだ2冊ともに紹介されているとなると、気になりはじめて、そうしたら運良く、現在森美術館で展覧会をやっていることがわかったので、早速チケットを取ってみました。
まだ行けていないので、行ったら感想をアップしたいと思います。
(需要があるのか、わかりませんが、、、)
私は来週行く予定ですが、会期が5月29日までなので、興味がある方はぜひお早めに!
『〈問い〉から始めるアート思考』については、こちらのページで書いてます。
他、美術関係の記事
芸術を日常生活に取りいれることの意味
ついこの前、現代アートがわからないから入門書を読みました、という記事をアップしました。
上記の記事では現代アートに特化した本ばかりだったので、現代アート以外の本を、と思って、今回はこちらの本を読みました。
『イギリスはおいしい』という本で初めて知った林望先生。
このエッセイがすごく面白くて、他の本も読みたいな〜と思っていたところにアート関係の本があったので、飛びついた。
アーティストではない我々一般人にとって、アート・芸術って生活にあったら嬉しいけど、絶対に必要なものではない、っていう感覚だった。
アートは好きだけど、生活に必要か?っていうと、うーん、そうでもないかも、、というか。
そんな考えのもと、この本を読み始めたのだけど、のっけから林先生は
「芸術ってのは豊かな人生を送るためになくてはならないものだ」
とおっしゃる。
仕事は生きていくのに最低限必要なことだけど、これだけじゃ生き甲斐がない。
だから芸術という遊びが必要なんだ、と。
な、なるほど、、、、!
職場と家の往復作業だけしていると、本当に嫌気がさしてきて、なんのために生きてるんだろう、、、ってなる。(見に覚えがありすぎる)
遊びのすべてが芸術とは思わないけど、芸術を遊びにして、クリエイティブなことに没頭できたら、それは結構楽しい気がする。
もともと何かを作るのは好きだった気がする。
就職してから、とんとやらなくなってしまっただけで、、、、。
先に読んだ『〈問い〉から始めるアート思考』にも書いてあったけど、アートってのは有史以来ずーっと存在しているものなんであって、人間が存在し続ける限り、なくなったりはしないんじゃないかという説。
どんなに貧しい国であっても、どんなに貧しい時代であっても、芸術は途絶えることがなかった。
これは、アートを含め芸術というものが、人間の本源的な欲求だからなのでは?と林先生はおっしゃっていた。
洋服一つ選ぶときにだって、より好みのもの、自分に似合うものを探そうとする。
これは自分の体を素材にして、絵を描いているようなものだ、と。
そういう芸術というものを、どこか高尚なものとして祭り上げたりしないで、もっと日常生活に取り込んでいきましょうよ〜というのが林先生の主張。
これは私も大いに賛成だなぁと思ったんでした。
社会のため、アーティストのため、とかそういう大袈裟なことではなくて、自分のために。
芸術っていうと、大袈裟な感じがするけど、自分が作ったもので誰かが喜んでくれたらそれは単純に嬉しい。
そういう単純な喜びが、今の私の生活から失われてしまっているのが、毎日の生活を楽しめない原因なのかもしれないと思った。
つい先日、鬱々とした記事をアップしたばかりですけど、仕事でそういう単純な喜びが得られない以上、仕事外で見つけるしかないんだろうな、と。
かといって、芸術ってどうやって日常に取り入れたらいいの?って話でして、そこらへんの踏み出し方を丁寧に説明してくれていて(しかも励ましてもくれているんだ、これが)すごく勇気づけられた。
林先生は声楽がメインのようだったけど、音痴の私にはハードルが高い。
なんで、私は絵や文章の世界から入ってみたいなって思った。
もう一つ、印象に残ったこと。
この本の中で、イギリスと日本の違いがあれこれ書かれていて、興味深かった。
どっちがいいとは単純に言えないと思うけど、日本はもう少し芸術に触れる機会があってもいいのかもしれない。
お隣の韓国と比べてみても、芸術関係の市場規模が桁が違うくらいに日本は小さいらしい。
韓国映画のクオリティや国際的な評価からしても、これはなんとなく予想はできる。
お金がないと高いクオリティの映画が作れない、とは言えないけど、無いよりはあったほうがいいのは確実。
映画に詳しい友達も、今韓国の映画がすごいって、言ってたしなぁ。
まあ、イギリスや韓国みたいになろうっていっても、一日やそこらでは無理な話で、じゃぁどうするのかって言ったら、まずは我々日本人が日本の文化を再評価するところからスタートしてもいいかもしれない。
日本にもいろんな芸術文化はあるはずなんだ。
ぱっと思いつくだけでも、
こういうのをもっと日常生活に取り入れてもいいのかもしれない。
今までアフタヌーンティーならテンションがあがるけど、茶道っていうと、「うーん、、敷居が高そう、、(ついでにお値段も高そう)」ってな感じだった。
絵にしたって、日本画よりも西洋画のほうが華があって好きだなぁ、と。
和菓子よりも、洋菓子のほうが好きだし、、、あわわ、、、。
雅楽、華道、歌舞伎、能にいたっては、どこかのご令嬢・ご令息が嗜むもの、みたいな印象しかない。
これが林先生がいうところの芸術を祭り上げてしまっている、ということなんだろうなぁ。
そもそも自国の文化を捨て置いて、欧米の文化に惹かれてしまうのは、なんでだろう?
やっぱり欧米にコンプレックスがあるからなんだろうか?
第二次世界大戦で敗けたことが、未だに尾を引きずっている???
自分の家の食卓をみても、和食、中華、フレンチ、イタリアンってな具合にあっちこっちの料理を食べているけど、こんなのは日本くらいなもので、他の国は自国の郷土料理を食べることのほうが多いらしい。
(いろんな国の料理を家庭で食べるから、日本家庭の台所は物が多いという説もあるくらい)
こう書くと日本大好き人間みたいだけど、そうではなくて、住んでいるところの文化を堪能するのが、一番メリットが大きいってことに気づいたんでした。
絵画はともかく、歌舞伎や能なんかは日本に来ないと観られないんじゃないかなぁと思うんですよね。
映像ならどこでもみれるかもしれないけど、実際に生で観られるのって、たぶん日本だけだ。
コスパの良いものが好きな人間としては、これを堪能しない手はないのであって、興味の持てそうな日本発祥の芸術を探してみようと思った次第。
やりたいことがないって、結構しんどい。
やりたくないことはたくさんある。
仕事、洗濯、掃除、食器洗い、化粧、早起き、買い物、、、等々。
じゃあやりたいことは??
って聞かれると、はて、、、私、何がやりたいんだろう、、、??って迷子になる。
しばらく考えてみたけど、やりたいことはそんなにない。
強いて言うなら、旅行、読書といったところか。
これも、旅行のために仕事を頑張らないといけないなら、行かなくてもいっかというくらいの気持ち。
これ、私だけなのかなぁーと思っていたら、もちろんそんなこともなく、同じ悩みを抱えている人は結構いるらしい。(ちょっと安心した)
やりたいことがないことに加えて、私の人生、残すイベントは定年退職と葬式(自分の)だけじゃない?っていうのもある。
進学して、就職して、結婚して、(人によっては、子供を作って)、ってなると、もう人生のイベントの大半をこなしてしまっていて、これ以上なんかある?何もなくない?みたいな気になってしまうんだよね。
となると、えっと、なんで生きてるんだっけ?みたいな、おかしな方向に思考が行ってしまって、まずいまずい、考えるのやめよーってなる。
兎にも角にも、やりたいことがないのがツラい。
そして、毎日毎日やりたくないことばかりなのもツラい。
そして、人生辞めたいなーと鬱々しながら、ネット検索したときにおすすめされたのが、こちらの本だった。↓↓
おすすめされるがままに、読んでみた。
なんというかもう、自分のことが書かれているんじゃなかろうか!?というくらいに、共感しまくってしまって、びっくりした。
いろんなことを、それなりに一生懸命やってきたつもりだったけど、結局なにも得られていない、なんならもう人生辞めたい、みたいな気分になっているところに読むとすんごく身につまされる
そもそも、何のために必死に頑張っているの?っていう疑問。
自分の夢があって、その実現のために頑張っているのであれば、いいんだよね。
しかし自分の夢じゃなくて、世間の常識のために頑張ってるなら、ちょっと立ち止まったほうがいいかもしれない。
いい大学に行かなきゃ、いい会社に入らなきゃ、仕事がんばらなきゃ、みたいなね。
(これ、全部わたしのことじゃ、、、)
大切なのは、
いい大学にいくことではなくて、何を学びたいかだし、
いい会社に入ることではなくて、どういう仕事をしたいかだし、
仕事をやみくもに頑張ることではなくて、仕事を頑張って何になりたいのか、
じゃなかろうか。
文字に書くと、ものすんごく当たり前のことなんだけど、こういう当たり前のことを私は真剣に考えてなかった。
仕事を頑張るって、当たり前のことっちゃ当たり前のことなんだけど、
私にとってはこれが結構難しい。
だって、本心から言ったら、仕事は嫌いなんだ、、、。
そもそも人付き合いが苦手なもんだから、同僚や上司、お客さん、取引相手とのやり取りといったら、苦痛のなんの、、、。
そうは言ったって、仕事しなきゃ生活できないので、仕事をするわけです。
こんなモチベーションのまま、一生懸命頑張るって、結構きつい。
でも世間では、『一生懸命』やらないとダメなやつってなる。
ダメなヤツになりたくないから、無いやる気を一生懸命しぼり出して、だましだましなんとか仕事をするわけですけど、仕事でこれがしたいっていうのもないし、こうなりたいっていうのもないから、ただひたすらゴールが見えない長距離走をしている感覚に近い。
ただただ、息が苦しい。
この本を読んだあと思ったのは、
仕事が嫌いなら嫌いなままでいいのかも、ということ。
なんでもかんでも『一生懸命』やろうとするのではなく、目の前の仕事を淡々とこなす。
これでいいのかもしれない。
自分が望む生活のために、たくさんお金を稼がないといけないなら、仕事を頑張るしかない。
そうじゃないなら、そこまで一生懸命にならなくてもいいのかもしれない。
ただの甘えかもしれないけれど、、、。
たぶん、私は周りの価値観や常識に振り回されすぎていた。
この鬱々とした現状を抜け出すためにも、自分の価値基準を作りたいな。
自分にとって大切なものがわからないから、やりたくないことにばかり一生懸命になっていた気がする。
もっと、自分にとって大切なもの・楽しいことに時間を使いたい。
(私の場合は、それを探すところからだけど、、、)
この本を読んだあと、ふっと心が軽くなったことは確かで、もっと気楽に生きたいって思ったんでした。
すごいベストセラーになっているけど、こういう本がベストセラーになっている日本って、大丈夫なんだろうか、、、と、夢中になって読んでおきながら、ふと思った。
最近の読書から思ったこと(2022年4月)
4月に読んだ本は、計13冊。
4月に読んだ本リスト
森川潤 グリーン・ジャイアント
谷口守 実践 地域・まちづくりワーク 成功に導く進め方と技法
ビル・ゲイツ 地球の未来のため僕が決断したこと
大月ヒロ子・他 クリエイティブリユース
金原ひとみ パリの砂漠、東京の蜃気楼
山梨知彦 プロ建築家になる勉強法
長野まゆみ さくら、うるわし
ツレヅレハナコ 女ひとり、家を建てる
真鍋恒博 建築ディテール「基本のき」
吉井仁実 〈問い〉から始めるアート思考
ハ・ワン あやうく一生懸命生きるところだった
内藤昌 江戸の町(上)
印象に残った本と、思ったこと
記事にも書いた「グリーン・ジャイアント」は良書だった。
タイトルだけ読むと、「いま脱炭素ビジネスが熱いよ〜だからみんな投資しよう!」みたいな話かと思うんだけど、そうじゃなかった。
環境問題がいかに喫緊の問題か、
環境問題に対して世界各国は何をしているのか、
日本はどうしているのか、
というのをいろんなデータや、報告書を元に解説してくれている本でした。
読了後、一番印象に残ったのは、日本って本当に遅れているんだなぁということ。
ここまで遅れてしまった原因はなんなのか。
この本で印象に残ったのがもう一つ。
「資本主義や経済成長と、環境対策は両立しない」という主張をしている方の言葉。
これ、環境問題だけじゃないのでは、と最近思い始めている。
そもそも、戦後に比べたら、収入や物資、栄養価など、いろんなものが豊かになって、日本人はもっと幸福になってもいいはずなのに、なんだかそうはなっていない(気がする)。
現に世界の幸福度ランキングを見ても、日本は先進国の中で最下位レベルだったりする。
(このランキングが全員に当てはまるとは思っていないけど)
一体全体これはどういうことなのか???
昔の人も今の人も、「幸せになりたい・ちょっとでも現状を良くしたい」と思って頑張ってきたはずなのに、幸福度が低いのどうしたことか。
私自身、毎日ご飯が食べられて、必要なものはすぐに買えて、特段困ったことはないはず。
なのに、なんだか息苦しい。
そして、その息苦しさを感じているのは私だけじゃなさそうだ。
効率化や生産性を追い求めて豊かになるっていうのは一見いいことなんだけど、効率化や生産性の追求の過程で、誰か(何か)が犠牲になるんではなかろうか、と。
物資がたくさんあるっていうのも、良さそうに思えるけど、実際そんなにたくさんのモノはいらなかったり、逆にたくさんありすぎて片付けや断捨離しなきゃいけなくなって、ストレスになったり。
栄養価についてもそうだ。
ご飯をたくさん食べられるのは嬉しいことだけど、いき過ぎると肥満になったり、食品ロスが出たり。
エネルギーを投入して食料品を作っているのに、またまたエネルギーを投入して食品ロスを処分するっていうのは、どう考えてもおかしな話だ。
健康本も好きなのでよく読むのだけど、多少の差はあれど結論としては、
「加工品はやめて、昔から食べているものを過不足なく食べよう」
となっていることが多い。
加工品が悪者みたいになっているけど、保存性を高めたり、コストを下げて美味しいものを作ったり、色々工夫した結果が加工品なんだとしたら、加工品が健康に良くないよっていうのもなんだか皮肉な話だよなぁと。
これまでの企業努力はなんだったのか、、、。
そして、なんだか悪者にされている加工品を作っている人たちは、どんな気持ちで作ってるんだろう???
日本人を不健康にしたいと思って、作ってるんだろうか??
(そうじゃないと信じたい)
2月3月に読んだ、稲垣えみ子さんの「寂しい生活」「魂の退社」なんかを読んだときも、なんだか現代はおかしなことになっているというモヤモヤが残って、じゃあ一個人としてはどうしたらいいんだろう、、と思ったんだった。
「あると便利は、すぐに無いと不便になっていく。」(「寂しい生活より)
という一文がすごく印象に残っていて、これ、本当にそうだな、と。
冷蔵庫や、電子レンジ、エアコンなどなど、一昔前なら無かったものが、今は必需品という気がしているものね。
昔はどれもこれもあると便利というレベルだったはずなのに。
そして、どれもこれも電気で動くものであって、そしてその電気を火力発電と原子力発電に頼っている日本では、使えば使うほど環境に負荷をかけることになる。
なんだかなぁ。
なんだかなぁ、と思っても、容易に手放せないので困ったものだ。
そもそも手放すことで解決できる、とも思わない。
モヤモヤしていることを、モヤモヤしたまま書いたので、結論も何も出ていなくて、申し訳ないです。
美術館に行く前にこういう本を読んでおけばよかった。
現代アートがさっぱりわからない。
印象派以前の作品(特に絵画)は、
「あーこれ好きだな〜」とか、
「これはあんまり好きじゃないな〜」とか、
観たあとに何かしら思うものがあるんだけど、
現代アートに限っては、好き嫌いという次元ですらなく、
全く理解できない、という次元だ。
こうなると、せっかく美術館に来たというのに、さーーーーっと流し見て、終わり。
といった感じになる。
こりゃあかんと思いつつ、勉強するもの面倒で、先延ばしにしていた。
ここに来て、ようやっといくつか読んでみた。
1冊目
女子のための現代アート入門ーMOTコレクションを中心に(長谷川祐子)
これは良かった!
私にはやや難しい部分もあったけれど、そこをじっくり考えながら読むと、なるほどそうか〜と思えた。
(じっくり考えてもわからない部分もあったけど、、笑)
さっぱりわからなかった李禹煥の作品など、これを読んで、そっかそういうことだったのか、と、少し理解できたような気がする。
読了後、どんぴしゃりで掲載されていた李禹煥の作品を観る機会に恵まれて、ちょっとした感動だった。
2冊目
みんなの現代アートー大衆に媚を売る方法、あるいはアートがアートであるために
これは現役のアーティストが書いた本。
作者が考える現代アートとは?というのを箇条書きにしてくれていて、ここが一番参考になった。
何でもありに見える現代アートだけど、ちゃんとした“アートの流れ”があって、それに乗っかっていないものはアートとは言えないんじゃないの?、と。
“アートの流れ”っていうのは、“アートの歴史”といってもいいかもしれない。
アートの歴史って言うと、私の中では、ゴシック、ルネサンス、マニエリスム、バロック、みたいなものだった。
そして、それぞれの違いは、技法の違いによるところが大きいと思っていた。
ゴシックが平面的な絵なら、ルネサンスは奥行きのある絵、マニエリスムは変形、バロックは光の表現、といった感じ。
どれもこれも技法の進化という印象だった。
しかし、現代アートにおいては、技法の違いというよりは、その当時の固定観念を覆すもの(仮にAとする)があって、さらにそのAを覆すもの(Bとする)が発生して、そして更にそれを覆すもの(Cとする)が発生して、、以下繰り返し、という印象。
このA → B → Cという流れが、現代アートの流れなのかな、と。
もちろん、全く別の、A → D → Eみたいな流れも同時発生するかもしれないのだけど、それはそれでアートの流れなので、DやEも立派なアートなんである。
作者のアートの定義で、唯一腑に落ちなかったのは「アーティストによって作られたか」というところかな。
個人的には、アーティストによって作られていなくても、アートとなりうるんではないかなぁと思う。
というか、そもそもアーティストって、何をもってアーティストなのか?、というのが新たな疑問だなぁ。
3冊目
これがもうめちゃくちゃ良い本であった。
なんというか、普通の感覚で書いてくれているというか、一般人の感覚で書いてくれているというか。
1冊目と2冊目はちょっと遠い世界の人が書いているという印象があったのだけど、これはそういう距離感がなくて、読みやすかった。
自己啓発本みたいなタイトルなのだけど、アート入門書としても読めました。
「アーティストが何かしらの『問い』を、今までにない形で表現する。
これがアートなんである、とこの本では書いてある。
このアートの定義がものすごく自分にはしっくり来た。
2冊目に読んだ「みんなの現代アート」には、納得できる部分とできない部分があったのだけど、この本のなかで書かれている「現代社会に問いを投げかけているか」という基準で判断するならば、割とすっきりするというか。
問題はアート作品を観たときに、自分がその『問い』を感じ取ることができるのか、というところだな。
基本的に、懇切丁寧に説明してくれないとわからない人間には、ちと厳しい。
しかし、それを考えるという作業が、美術鑑賞の醍醐味ですね。
東京都現代美術館で開催されていた「ライゾマティクス展」にも行ったのだけど、この本を読んだあとに行きたかったなぁ。そのほうがもっと楽しめたような気がする。
まとめ
最近読んだのはこの3冊。
この3冊の中では、「〈問い〉から始めるアート思考」が一番しっくりきた。
解説がわかりやすかったというのもあるし、なにより現代アートが何をしたいのか、という自分の疑問に対して『問い』という言葉を持ってきてくれたことに、すごく納得がいった。
まぁ、実際アート作品を観たら、「問い」があるのかないのか全然わからない、ということもあると思うのだけど、観るときの一つの基準にはなるな、と。
建築本の案内書としても便利『プロ建築家になる勉強法』(山梨和彦)
建築系の本を読みたいなぁーと思っても、いろんな本がありすぎて、何を読んだらいいのかわからない。
こういうときに助かるのが、建築本の案内書。
作者が読んで良かったと思う本が、リストになっていて、すごく良かった。
哲学的な建築本から、技術的な建築本まで、幅広く紹介されていたので、その点でも助かる。
おすすめ建築本というと、哲学的・精神的な本に偏っていることが多くて、普通の技術書が読みたいっていうときに迷子になるんですよね、、、。
あと、無料でDLできる製図ソフトなんかも紹介されていたので、ちょっとDIYで家具作りたい!、とか、次引っ越す家の家具配置を考えたい、なんてときにも使えそう。
ガッツリ建築図面を描こうと思うと大変だけど、自分で見るだけの間取り図なら、ちょっと練習すればすぐに描けるはず。
建築本の案内書といえば、宮脇檀の『住まいとほどよくつきあう』も、巻末におすすめ本リストが載っていて、ありがたかった。
こちらは、そもそもこの本の出版が1994年なので、おすすめされている本はそれ以前に出版された本ばかり。
なので、まぁめちゃ古い。
30年以上前に出版された本の内容が、今も通じるものなのか、そこらへんは自己判断しないといけない感じです。
とはいっても、図書館で探して、順番に読んでいくのはなかなか楽しい。