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食事が現代アート的になっていったら、どうなるのか。「生まれたときからアルデンテ」(著者:平野紗季子)

生まれた時からアルデンテ』著者:平野紗季子

 

今や、めちゃくちゃ有名なフードエッセイストの平野紗季子さんの初エッセイ本。

文庫になったのを期に今らさながら読んでみた。

 

平野さんのエッセイは、兎にも角にも文章が素晴らしくて、たぶん食に興味がなくても、すらすら読めてしまう面白さがある。

若くしてこれほどまでに食に真摯に向き合っていたということに、ひたすら尊敬の念を感じるばかり。

 

私が大学生の頃なんて、今以上にお金が無かったので、安いことが正義であった(笑)

まぁ、今もそんなに外食はできんのですが(笑)

 

このエッセイを読みながら、印象に残ったのはP42から始まるシェフの生江史伸さんとの対談部分。

 

(平野)例えば、現代アートや映画をみるように、作品それぞれに解説があったり、パンフレットがあったりして、コンセプト込みで楽しむ芸術に比べて弱いなって思ったんですよ、料理って。出てきたらとにかくすぐ食べちゃうし(笑)。舌で思想は食べられるのかなって思う。

 

(生江)特に日本の料理はそうかもしれないですね。

 

「生まれたときからアルデンテ」(P42−43)より

 

最近、現代アートの本ばかり読んでいたせいか、現代アートという単語に反応してしまった。

二人の対話を読んで、もし仮に日本のレストランが現代アート的になったら、どうなるのかな、って想像して、ちょっとゾッとしてしまったんである。

 

生まれたときからアルデンテ」とほぼ同時期に読んだ「現代アートとは何か」という本で、今の現代アート市場が加熱しているというのを知ったばかりだった。

この本によると、世界の富裕層が現代アートをこぞって買っているらしい。

こうなると需要と供給の問題で、人気作家の作品は法外な値段がつくようになる。

 

もしこれと同様の現象が、食(もといレストラン)で起こったら???

 

もう一般市民には到底手が届かない存在になるだろうな、と。

レストランはどんどん隠れ家的・会員制になっていって、一部の富裕層が独占するようになる・・・かも知れない。

ただ現代アートと違うのは、食事は食べたら終わりで、手元に残らない。なので現代アートのように法外な値段はつきにくいような気もする。

 

しかし今後、シェフが考えたメニューやレシピに対して権利がついて、売買できるようになったら、話は別だ。

 

と、思ったら、もうすでにそういうサービスがあった!↓↓↓

star-recipe.jp

 

これはまだ一般向けだけど、こういうサービスが今後どのようになっていくのかが、楽しみでもあり不安でもあるなぁ。

資本主義にのまれない方向で、進化してほしい。

 

最近、私は節約志向になってしまって、外食もほとんど行かなくなってしまったけれど、それは外食が嫌いということではないんである。

外食はやっぱり楽しいし、たまには行きたい。

 

しかし、1食10万円とか、そういう次元になってきたら、もう行きたくてもいけなくなってしまう。それは、悲しすぎる。

 

と、思いつつ、レストランオーナーやシェフにとっては、自分の料理を評価して、お金を落としてくれるお客さんはありがたい存在なはず。

現代アートも、今のように発展したのは、お金を落としてくれる富裕層がいるからという現実もあって、つまりは資本主義の恩恵のなかにあるのが現代アートということらしい。

 

となると、今以上に食文化が発展するためには、やっぱり富裕層ならぬ資本主義の力が必要なのかもしれない。

 

富裕層が楽しむ食と、庶民が楽しむ食、それぞれ文化が分かれるというのも食の発展の道としてはアリかもしれないな〜。