街から人を追い出すアートって、悲しすぎる。
このまえ読んだ『様式とかたちから建築を考える』が面白かったので、五十嵐太郎先生つながりで読んでみた。
気軽に読みはじめたのだけど、本当に頭の痛くなる事が書かれていた。
ここ最近、本当に日本はおかしくなっているんじゃないか、と思うことが増えている。
気のせい???
気のせいなら全然いい。
でも、たぶん気のせいじゃないと思う。
小崎哲哉氏の『現代アートを殺さないために ソフトな恐怖政治と表現の自由』や、『現代アートとは何か』だとか、稲垣えみ子氏の『寂しい生活』、安宅和人氏の『シン・ニホン 』などなど、どれも視点は異なるけど、読んだあとの感想として、なんだか日本はおかしなことになっている、このままではマズい、と感じたのだった。
今回読んだ『誰のための排除アート?』もそのひとつ。
恥ずかしながら、“排除アート”という単語をこの本で初めて知った。
排除アートというのは、公園などの公共空間で、ホームレスなどが居づらくなるように設置された作品等のこと。
(その他にも定義は色々あると思われる)
1990年代後半くらいから、ベンチに仕切り(肘掛け)を付ける、地面に突起を設置するというような、人が寝られないようにする細工をしたものが日本各地でみられるようになったらしい。
今となっては仕切りがないベンチのほうが珍しいのではないか、と思うくらい仕切り付きベンチをあっちこっちで見かけるようになった。
駅のホームなんかでも、ほとんど仕切りがあるし、公園もそうだ。
当初はホームレスを追い出すことを目的に付けられたらしい。
ベンチで横になろう、と思ったことがなかったので、どうしてそういうものが増えたのか、あまり深く考えたことがなかった。
この本を読みながら、誰かを排除する動きはどんどんエスカレートしていくんじゃないか、と思って怖くなった。
案の定、本書でもその点について書かれていた。
最近は子どもの声がうるさいという苦情を受けて、公園のブランコやジャングルジムなどを撤去する動きがあるらしい。
そうして子ども向け遊具が減っていく一方で、高齢者向けの健康遊具が増えているとか。
1998年度〜2013年度までに、箱型ブランコは約9割、ジャングルジムが約2割減ったのに対し、高齢者向け健康遊具は約5.5倍に増えたらしい。
いまの日本では子どもよりも高齢者のほうが多いので、自然な流れかもしれない。
子ども向け遊具の減少には、危険だというような別の理由もありそうなので、一概にはいえないけれど、五十嵐先生は「公共空間からの子どもの排除ではないか」と読者に疑問を投げかけていた。
私個人の経験としても、“お金を払わずに”居られる空間って、探してみると本当に少ない。
春や秋なら、公園のベンチといった選択肢もあるけれど、夏や冬だと屋外は辛い。
そう思って、屋根があるところを探したのだけど、これが本当に無い。
結局、一番安く済みそうなマックに行くことにして、そのときはやり過ごしたのだった。
若い頃は、日本製に対する安心感だったり、日本の治安の良さだったり、日本に住めることを誇りに思っていたけど、最近は日本のいろんな部分に疑問符がつき始めている。
ただ単に、私の視野が広がっただけならいいんだけど、そうなのかなぁ??
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